旧手宮線が伝えるもの⑭ (小樽市総合博物館 企画展) 総合博物館は鉄道遺産の宝庫
- 2017/07/31
- 19:19

総合博物館は鉄道遺産の宝庫ー鉄道発祥地に残るものー小樽市総合博物館にある鉄道車両や鉄道遺産で機関車庫や転車台など「旧手宮鉄道施設」は2001(平成13)年に国の重要文化財に指定されました。他にも「鉄道記念物」4件・「準鉄道記念物」6件があります。老朽化が著しかった機関車庫三号は2006(平成18)年から保存修理工事を行ない、2010(平成22)年に再公開されました。これらの遺産の保存と継承は今後の課題です。アイアンホース号...
旧手宮線が伝えるもの⑬ (小樽市総合博物館 企画展) 鉄道記念館から交通記念館へ
- 2017/07/30
- 19:19

鉄道記念館から交通記念館へー鉄道車両の充実・アイアンホース号の輸入ー鉄道の発祥地・手宮で1962(昭和37)年に手宮線の旅客営業が廃止となり、その跡地に国鉄が鉄道記念館を開設しました。鉄道記念館は長く市民に親しまれましたが、1991(平成3)年第3セクターが設立され「小樽交通記念館」が開館、アイアンホース号の動態保存を開始しました。現存も構内を走行し来館者に親しまれています。クロフォード像建設記念パンフレット 19...
旧手宮線が伝えるもの⑫ (小樽市総合博物館 企画展) 幻の鉄道計画
- 2017/07/29
- 19:19

幻の鉄道計画ー小樽高架電気軌道・小樽市営電車ー小樽市内に小規模な軌道をつくろうとした計画も明治時代からありました。昭和初期の「小樽電気軌道」や「小樽市内電車」、モノレールを使用する「小樽高架電気軌道」の計画が立てられました。小樽市営電車には敷設の許可が認められましたが、建設費の問題などにより実現することはありませんでした。小樽市街電車線路予定計画図小樽高架電気軌道株式会社 設立趣意書 1927(昭和2)...
旧手宮線が伝えるもの⑪ (小樽市総合博物館 企画展) 小樽市内の鉄道高架化
- 2017/07/28
- 19:19

小樽市内の鉄道高架化ー小樽~札幌間の複線化・電化に発展ー自動車の普及が進む昭和30年代、市の中心部を横切る函館本線の踏切で渋滞が多発し、これを解消するために1961(昭和36)年小樽ー南小樽間を高架にする工場がはじまり、3年後に完成しました。その後1965(昭和40)年複線化の完成、1968(昭和43)年には小樽ー滝川間に道内国鉄初の電化区間開業を迎え、近代化への道を歩むことになります。小樽・南小樽間高架化工事写真パネル 1...
旧手宮線が伝えるもの⑩ (小樽市総合博物館 企画展) 小樽築港駅の整備と浜小樽線
- 2017/07/27
- 19:19

小樽築港駅の整備と浜小樽線ー手宮から築港へ機能の移転ー大正末には石炭取扱量の激増により、小樽築港駅にも石炭設備の計画が立案されました。構内には、1927(昭和2)年、小樽機関庫と同手宮分庫を合併移転し「小樽築港機関庫」が完成しました。港湾荷物の取扱も増加し、1932(昭和7)年鉄道省は、小樽臨港線として小樽築港駅から浜小樽駅を起点として埠頭への専用線を敷設、小樽港発着の港湾貨物輸送を担いました。小樽市街図 1945...
旧手宮線が伝えるもの⑨ (小樽市総合博物館 企画展) 鉄路を守る
- 2017/07/26
- 19:19

鉄路を守るー手宮保線区、小樽保線区の開設ー線路の保守機関は1898(明治31)年に保線事務所、保線区が旭川に開設されたのがはじまりです。同時期に線路従事職員服務規定もでき、保線作業の基礎が作られましま。小樽では1907(明治40)年に高島の保線区と手宮の保線区を統合し「手宮保線区」が開設、1938(昭和13)年に手宮保線区の廃止にともない「小樽保線区」と改称し場所を小樽築港に移転しました。小樽保線區陶器製看板小樽保線区員...
潮まつり準備中
- 2017/07/25
- 19:19

第51回おたる潮まつりが7月28(金)~30(日)開催されます。メイン会場の第3埠頭手前の中央ステージが造られていました。手前の提灯タワー。運河プラザ横の提灯タワー。ぶん公も祭仕様です。祭のチラシ。...
旧手宮線が伝えるもの⑧ (小樽市総合博物館 企画展) 手宮駅の終焉
- 2017/07/24
- 19:19

手宮駅の終焉ー散策路として市民・観光客の憩いの場へー手宮線は国鉄の合理化政策により1962(昭和37)年に旅客営業を廃止、貨物営業線となりました。石炭専用列車の本数も減少が続き、国鉄は小樽市に同線を廃止とする通告を出し、1985(昭和60)年11月5日に廃止となりました。廃止後の線路をどのように活用するか、多くの議論が巻き起こりました。そして小樽市が同線を購入しオープンスペース・散策路として保存活用(運輸系の利用案...
旧手宮線が伝えるもの⑦ (小樽市総合博物館 企画展) 手宮駅と色内駅
- 2017/07/23
- 19:19

手宮駅と色内駅ーくり返した営業と休止ー手宮線の途中駅は「色内駅(色内仮停車場)」の一駅だけでした。もともと手宮駅は石炭や貨物輸送を目的として設置されたので、旅客営業をたびたび休止されることがありました。また「手宮駅」は駅舎の移転が四回あり、旅客駅と貨物駅が分かれていた時代もありました。手宮行きのプレートタブレットキャリアー手宮駅用第2種手荷物切符(受託用)手宮駅 1962(昭和37)年貨物取扱駅コード図表...
旧手宮線が伝えるもの⑥ (小樽市総合博物館 企画展) 手宮線の貨物・旅客輸送
- 2017/07/22
- 19:19

手宮線の貨物・旅客輸送ーお召し列車やハイカラ列車も手宮駅にー手宮駅の最盛期は1939(昭和14)年~1940(昭和15)年頃といわれています。この時期は職員数も191人の配属で1日100人を越える職員が働いていました。駅構内は昼夜関係なく入換機関車が黒煙を出して動いていました。手宮駅の貨物収入のピークは1968(昭和43)年の4億4千万円、旅客収入は1951(昭和26)年の1千670万円(1日乗降平均3,800人)でした。色内駅 1957(昭和32)年色...
旧手宮線が伝えるもの⑤ (小樽市総合博物館 企画展) 線路名称変更で手宮線に
- 2017/07/21
- 19:19

線路名称変更で手宮線にー幌内鉄道・北海道炭礦鉄道から手宮線にー政府は日本にある私鉄会社を買収し国有化、組織の一元化を図り1908(明治41)年に「鉄道院」を設置しました。鉄道院では全国統一の運輸体勢を整備するため車両の形式名の統一や線路名の改正をしました。1909(明治42)年10月12日鉄道院告示第54号により北海道関係の線路名も改正されました。この時に小樽(現在の南小樽)ー手宮間の2.8kmを「手宮線」と定めました。線...
旧手宮線が伝えるもの④ (小樽市総合博物館 企画展) 北海道の鉄道史
- 2017/07/20
- 19:19

北海道の鉄道史ー明治・大正・昭和ー明治期の鉄道は「釧路鉄道(明29年廃止)」「官設鉄道」、「北海道鉄道株式会社」、幌内鉄道から経営が移った「北海道炭礦鉄道株式会社」がありました。これらは1906(明治39)年の鉄道国有法で一元化されました。大正期には全国的に主な鉄道網は完成し一千マイル(1600km)まで路線が延伸されました。戦後、日本国有鉄道の発足、青函トンネルの開通、国鉄再建法よる赤字ローカル路線の廃止が次々と...
旧手宮線が伝えるもの③ (小樽市総合博物館 企画展) 日本の鉄道開業と北海道の鉄道
- 2017/07/19
- 19:19

日本の鉄道開業と北海道の鉄道ー日本の近代化に大いなる貢献ー日本の鉄道は「官設鉄道」の新橋ー横浜間がはじまりです。そして大阪ー神戸間、釜石ー大橋間の「釜石鉄道」、手宮ー札幌間「幌内鉄道」と続きます。釜石鉄道と幌内鉄道は鉱石輸送が大きな目的でした。開拓使が敷設した幌内鉄道は主に石炭を輸送し、エネルギー革命で石炭から石油に代わるまで北海道の石炭は小樽から搬出されていきました。茅沼炭山輸出之図石炭日本の鉄...
旧手宮線が伝えるもの② (小樽市総合博物館 企画展) 旧手宮線が伝えるもの
- 2017/07/18
- 19:19

旧手宮線が伝えるものー小樽の鉄道史ーーはじめにー北海道最初の鉄路「手宮線」の廃止から31年後の昨年11月、旧手宮線散策路の開通式が行われました。1880(明治13)年の開業から日本の近代化を支えた功績は大きく、その役割を果たし、残された鉄道遺産は地域の財産といえます。また、小樽市総合博物館も小樽博物館の時代から数え、昨年還暦を迎えました。ともに新たな一歩を踏み出せるようその歩みを振り返っていきます。C57194のプ...
小樽市総合博物館 企画展 旧手宮線が伝えるもの①
- 2017/07/17
- 19:19

小樽市総合博物館の本館2階、企画展示室で行われていました。開催期間: 平成29年4月29日~7月17日ー小樽の鉄道史ー平成29年4月29日~7月17日小樽市総合博物館 本館 2階 企画展示室旧手宮線の散策路整備で回収したレール 転てつ柵...
自動車展示館(小樽市総合博物館)
- 2017/07/16
- 19:19

小樽市総合博物館では列車の展示だけではなく車も展示されています。展示館の建物。スバル360説明板スバル360 K111型軽自動車として日本で最初に量産体制がとられた車です。1958年(昭和33)に発売され、1969年(昭和44)までそのスタイルをほとんど変えることなく、「てんとう虫」の愛称で親しまれ、庶民派軽四輪のロングセラーでした。製造会社: 富士重工業年式: 1969(昭和44) エンジン: 空冷2サイクル直列2気筒最高出力: 25ps/5500...
アイアンホース号の転車台と車庫入れ(小樽市総合博物館)
- 2017/07/15
- 19:19

小樽市総合博物館ではアイアンホース号に乗ることが出来ます。走った後で転車台を使い車庫入れするところを見学出来ます。アイアンホース号転車台に乗ったところ。回転中。バックで入庫。最後に蒸気が出ました。...
旧・「北海織物株式会社」
- 2017/07/13
- 19:19

南小樽駅から徒歩3分位の所に建っています。建物全景。玄関先。説明看板。旧・「北海織物株式会社」 この建物は昭和初期に建築されたもので、当時、織物卸業の拠点としてこの地域に栄えた問屋のひとつ「北海織物株式会社」の社屋として近年まで使われてきた木造建築物です。 築後60年以上経った今も構造は基より内外仕上げ材の状態も良く当時の施工技術の高さと共に大切に使われてきた様子が随所に伺えます。 小樽には歴史的建...
蒸気時計物語
- 2017/07/12
- 19:19

メルヘン交差点に建っています。全景。説明板。蒸気時計物語世界に最初の「蒸気時計」はカナダ、バンクーバー発祥の地ガスタウンの時計職人レイモンド・サンダース氏がガスタウンの保存と発展の願いを込めて2年と言う年月をかけて独力で製作し1977年に完成しました。小樽の[蒸気時計]は温かい街づくりの[心]を形にしようと此々小樽の発祥の地[メルヘン交差点]に平成6年6月25日に完成したものです。この時計は同氏の二...
旧共成(株)
- 2017/07/11
- 19:19

メルヘン交差点に建っています。建物外観。説明看板。小樽市指定歴史的建造物旧共成(株)建築年: 明治45(1912)年構造: 木骨煉瓦造明治24年創業の共成(株)は北海道有数の精米、米穀商でした。メルヘン交差点、かつての有幌倉庫群入口にあたる角地に位置します。石造の多い小樽では珍しい煉瓦造の建築で、内部に木骨の構造を組んでいます。壁の褐色の煉瓦、アーチ状窓のキーストーン(要石)や開口部と隅部に積んだコーナーストー...
常夜灯
- 2017/07/10
- 19:19

メルヘン交差点に建っています。全景。説明板。常夜灯(小樽海関所灯台)海関所は、明治4年(1871年)信香町に灯台を設置しました。入船川河口にいかりを下ろす多くの船舶の目印となりました。新天地に未来をかけた人たちは、その光源を親しみを込めて常夜灯と呼びました。 翌年、西蝦夷随一の良港手宮港は、港名を小樽港と改めました。 北海道開拓の道央の玄関口として、我国有数の貿易港への躍進を約束された時でもありまし...
旧戸出物産小樽支店
- 2017/07/09
- 19:19

メルヘン交差点に建っています。建物外観。説明看板。小樽市指定歴史的建造物旧戸出物産小樽支店建築年: 大正15(1926)年構造: 木造一部煉瓦造 この建物は、富山県に本店のある戸出物産の小樽支店として新築されました。入船七叉路(メルヘン交差点)の一角にあり、外観は左右非対称で、窓周りに垂直性を意識した意匠が施されています。旧社屋裏に煉瓦造3階建の倉庫が続き、一体で活用されています。1階室内には、鉄製の円柱が並び...
史蹟 オタルナイ運上屋跡
- 2017/07/08
- 19:19

メルヘン交差点の郵便局隣に目立たなく建っています。全景。説明看板。史蹟 オタルナイ運上屋跡 この運上屋の創設は明らかではありませんが、おおむね享保年間<1716~1735>の頃と推定され、幕吏 大石逸平の「西蝦夷地場所回浦日記」によると、天明6年<1786>4月1日オタルナイ運上屋に宿をとったと記されています。慶応元年<1865>オタルナイ場所が村並となって場所請負制度とともに運上屋も廃止されました。以後この建物は本...
猪股邸
- 2017/07/07
- 19:19

三本木急坂の途中に入口通路があります。こちらの奥に建っています。説明看板。小樽市指定歴史的建造物猪股邸(石蔵、石塀、石門含む)建築年: 明治39(1906)年構造: 木骨 メルヘン交差点から南に登る高台に位置するこの建物は、小樽に多い実業家邸宅の好例です。外見は純和風造りですが、玄関左脇に洋風の応接室が設けられています。右手が表座敷で、8畳書院の座敷と2室をつなぐ広縁がめぐらされています。擁壁と一体の石蔵、石塀...
旧魁陽邸
- 2017/07/06
- 19:19

三本木急坂の途中に入口の門があります。現在は海陽亭。坂を登ると建物正面に出ます。料亭の建物。説明看板。小樽市指定歴史的建造物旧魁陽邸建築年: 明治29(1896)年以降構造: 木造明治初期に開業した料亭で、亭名は創業期の魁陽亭から開陽亭、海陽亭とかわっています。建物は大半が大正期の増築ですが、2階大広間「明石の間」は、明治29年大火類焼時の再建と推定されています。明治39年11月、日露戦役による樺太国境画定会議後の...
三本木急坂
- 2017/07/05
- 19:19

南小樽駅から海側に進み3つの坂の交差点左側にある坂。坂の上に立つ案内板。坂の上から下方向を見たところ。この辺はまだ平らです。少し進んだところ。途中にある標識。三本木急坂。勾配は8%なので急ではありません。下方向。下のメルヘン交差点。メルヘン交差点から上を見たところ。坂の上。「小樽市HP/おたる坂まち散歩より」今や急ではない三本木急坂 観光客でにぎわう入船のメルヘン交差点。オルゴール堂の横を上る坂が三本...
榎本武揚とW・S・クラークのレリーフ
- 2017/07/04
- 19:19

旧小堀商店の下の方の壁に貼られています。全景。説明看板とレリーフが並んでいます。レリーフ。説明看板。榎本武揚 一八三六~一九〇八 波乱万丈、明治の時代を二度生きた男が榎本武揚である。五稜郭に立てこもり、徳川家最後の幕臣として薩長と戦い、敗戦の将として大鳥圭介等と二年半入牢することになる。その後、黒田清隆、渋澤栄一等の助命嘆願により無罪放免となり、即に北海道開拓次官であった黒田清隆の勧めもあり開拓使...
旧小堀商店
- 2017/07/03
- 19:19

山ノ上の坂沿いの下の方に建っています。建物外観。説明看板。小樽市指定歴史的建造物旧小堀商店建築年: 昭和7(1932)年構造: 木骨鉄網コンクリート造 この建物は、小堀商店の店舗として、市内では古くから市街地が形成された山ノ上町(現在の住吉町)に建てられました。外壁は木造に鉄網を張り、モルタルを厚く塗った木骨鉄網コンクリート造と呼ばれる堅牢な造りで、黒壁が一層重厚さを感じさせます。防火シャッターや二重窓、全...
山ノ上の坂
- 2017/07/02
- 19:19

南小樽駅から海側に進み3つの坂の交差点右側にある坂。坂の上から下を見たところ。途中から上を見たところ。途中から下を見たところ。臨港線との交差点。坂の下から上を見たところ。「小樽市HP/おたる坂まち散歩より」山ノ上の坂 前編 安政の坂道 南小樽駅から海に向かって歩くと、三つの坂が交わる交差点に出ます。左は三本木急坂、正面は前2回で紹介した赤坂です。今回は、交差点を右に曲がって、信香町に向かって下る、山...