旧手宮線が伝えるもの⑥ (小樽市総合博物館 企画展) 手宮線の貨物・旅客輸送
- 2017/07/22
- 19:19
手宮線の貨物・旅客輸送
ーお召し列車やハイカラ列車も手宮駅にー
手宮駅の最盛期は1939(昭和14)年~1940(昭和15)年頃といわれています。この時期は職員数も191人の配属で1日100人を越える職員が働いていました。駅構内は昼夜関係なく入換機関車が黒煙を出して動いていました。手宮駅の貨物収入のピークは1968(昭和43)年の4億4千万円、旅客収入は1951(昭和26)年の1千670万円(1日乗降平均3,800人)でした。
色内駅
1957(昭和32)年
色内駅の2500形機関車
昭和
手宮駅要覧
1919(昭和8)年
手宮駅駅史に関する資料
1934(昭和9)年
汽車時間表
1913(大正2)年
手宮駅旅客関係駅客状況
1931(昭和6)年
手宮高架桟橋の石炭積出の概要
鉄道フォトニュース
1952(昭和27)年
鉄道高架桟橋
1911(明治44)年
手宮駅史
1933(昭和8)年
手宮発展の懐古
1935(昭和10)年
駅務統計簿
(貨物)手宮駅
1951(昭和26)年
ーお召し列車やハイカラ列車も手宮駅にー
手宮駅の最盛期は1939(昭和14)年~1940(昭和15)年頃といわれています。この時期は職員数も191人の配属で1日100人を越える職員が働いていました。駅構内は昼夜関係なく入換機関車が黒煙を出して動いていました。手宮駅の貨物収入のピークは1968(昭和43)年の4億4千万円、旅客収入は1951(昭和26)年の1千670万円(1日乗降平均3,800人)でした。
色内駅
1957(昭和32)年
色内駅の2500形機関車
昭和
手宮駅要覧
1919(昭和8)年
手宮駅駅史に関する資料
1934(昭和9)年
汽車時間表
1913(大正2)年
手宮駅旅客関係駅客状況
1931(昭和6)年
手宮高架桟橋の石炭積出の概要
鉄道フォトニュース
1952(昭和27)年
鉄道高架桟橋
1911(明治44)年
手宮駅史
1933(昭和8)年
手宮発展の懐古
1935(昭和10)年
駅務統計簿
(貨物)手宮駅
1951(昭和26)年
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