お 小樽切り絵カルタ
- 2017/02/13
- 19:19
丘に立つ 多喜二の思い 今もなお
小林多喜二は、一九○三(明治三六)年秋田生れ。
四歳の時に小樽へ移住、小樽高等商業学校を卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に勤めます。
この頃から、プロレタリア文学と呼ばれる、労働者の厳しい生活をえがいた作品を書き始め、海外からも注目される存在となりました。
小説の内容によって勤め先を解雇、また当時は非合法とされていた日本共産党員であったことから、特別高等警察に逮捕され、拷問の末に二九歳で亡くなりました。
代表作は「不在地主」「蟹工船」など。特に「蟹工船」は、近年若者の間で静かなブームとなっており、多喜二の思いは、今もなお読み継がれています。
旭展望台に建つ文学碑には、望郷の念を綴った書簡の文章とともに、頭像がはめ込まれていますが、これは青年労働者をイメージしたもの。
市立小樽文学館には、多喜二のデス・マスクや書簡などが所蔵・展示されています。
読札 高田 幸枝
絵札 高橋 悦郎
小林多喜二は、一九○三(明治三六)年秋田生れ。
四歳の時に小樽へ移住、小樽高等商業学校を卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に勤めます。
この頃から、プロレタリア文学と呼ばれる、労働者の厳しい生活をえがいた作品を書き始め、海外からも注目される存在となりました。
小説の内容によって勤め先を解雇、また当時は非合法とされていた日本共産党員であったことから、特別高等警察に逮捕され、拷問の末に二九歳で亡くなりました。
代表作は「不在地主」「蟹工船」など。特に「蟹工船」は、近年若者の間で静かなブームとなっており、多喜二の思いは、今もなお読み継がれています。
旭展望台に建つ文学碑には、望郷の念を綴った書簡の文章とともに、頭像がはめ込まれていますが、これは青年労働者をイメージしたもの。
市立小樽文学館には、多喜二のデス・マスクや書簡などが所蔵・展示されています。
読札 高田 幸枝
絵札 高橋 悦郎
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